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2010年10月11日 (月)

全員一丸だけでは人財は育ちません

少し前までは「まだまだ夏!」という感じの
気温でしたが、9月後半になってからは急に
気温も下がり、ここ数日はずいぶん秋らしく
なりましたね。
富士山にも先月の末、初雪の便りが届き、
これからどんどん寒くなっていくんだなぁ~
と実感しました。

そんな急な冷え込みの影響なのか、最近マスク姿の
人を見かける事があります。
きっと体調を崩された(或いは体調を崩さないように
予防している)のでしょうね。

そんな風景を見て、ふと去年の事を思い出しました。
既に皆さんの記憶には遠い昔の事になってしまった
かもしれませんが、去年はマスクをしている人を
至る所で見かけましたよね。店頭でもマスクが品薄に
なって買い占めるなんて動きも出たりして。
そう、新型インフルエンザが大流行したのが去年。
最近は寒い季節になると○○インフルエンザという
言葉を毎年耳にするようにも思います。

このようにインフルエンザが大流行するたびに日本では
マスク姿の人を多く見かけるようになります。
これに比べ、欧米諸国ではマスク姿はあまり見られない
ようです。

以前に住んでいたモロッコでも寒い季節はあるのですが、
マスク姿の現地の人を見た記憶は私自身はありません。
(恐らくマスクは売っているとは思いますが・・・)。

この理由としては、もともと欧米ではマスクをつける
習慣がない事とも言われています。しかし、それ以外
にもマスクに対する賛否両論の意見が欧米では存在する
というのも一因のようです。

日本ではインフルエンザなどに感染した人が、その拡大を
防止するのは当然の事。
感染していない人でも予防の観点で早目にマスクを
つける事が望ましいと思われているのが現実です。

しかし、マスクをしながら咳やくしゃみをする事で、
病原体の温床になり、結果的に感染者にとって逆効果に
なるという見解もあります。
なるほどその通りかもしれませんね。

以上の事から推測すると、欧米のように個人の自由が
優先される社会ではマスクをつける事のデメリットが
強調されがちで、できるならばマスクをつけないで
済むようにしたいという心理が働いているという事が
言えるのかもしれませんね。
もちろん、自分自身が感染してしまったら、他者への
感染防止の観点から、仕方なくマスクをつける事は
あるのでしょうが・・・。

WHO(世界保健機関)でも
「病気でなければマスクを着用する必要はない」
と明示しているようです。

ただ、日本のようにお互いの関係性を優先する社会では、
マスクをつける事で他人にうつさない、または他人から
うつされないというメリットを強調する傾向にあり、
積極的にマスクをつけるという心理が働くのという事が
言えるのかもしれません。
この場合は、感染した人がマスクをつける事で
病原体の温床になる可能性があるという負の部分は
優先順位として低くなる傾向にあるのでしょう。

昨年の新型インフルエンザ大流行の時期のように、
街中でマスクをした人があふれている状況では
「自分だけマスクをしていない」という事が
まるで罪であるかのような心理も働くものと思われます。

同様の事が学級閉鎖への対応にも見られます。

個人を尊厳する社会では感染者が出た場合'その人'を
隔離すれば問題はないはずです。
感染していない人はむしろ通常の社会に参加する権利が
あるので、他人の感染の為に強制的に社会参加を拒まれる
なんて考えられないという事でしょう。
当然イベントや集会の中止なども論外です。

そう言えば昨年あった事例ですが、アメリカでは
インフルエンザの大流行があった場合、集会を
中止するのではなく、集会など人が集まる場所は
その機会を利用して主催者が正しい情報を伝え、
感染拡大阻止を訴える絶好の機会と捉えるべきとの
見解もあったようです。

「感染の拡大を防止する」という理由から集会や
イベントなど人が集まる事は全て中止する考えとは
180度異なる考え方ですね。
もちろん、主催者側・参加者側双方にとって、
「感染してしまう」というリスクを最小限に
するには‘中止’が最も有効な方法でしょう。

しかし、これは裏を返せば、個別の考えを一切無視し、
集団そのものの活動を強制的に統制する事にも
繋がるのです。
感染者であろうとそうでなかろうと。皆いっしょ。
そこには個人の意思は全く介入できない状態なのです。

昨年も報道に取り上げられていましたが、学級閉鎖の結果、
自宅待機を命じられた子どもの親は、結局自分自身の判断で
児童・生徒の受け皿にならざるを得ない状況が起こっていました。
夫婦共働きの場合はどちらかが会社を休まないといけない
状況だったのです。また、そうでなくても待機する児童や
生徒の面倒を誰が見るのかという議論は、私が知る限り
全く起こらなかったように記憶しています。

つまり、集団のメリットを優先した結果、個人のデメリットには
ある程度目をつぶるという事なのです。
当時某自治体の知事も記者会見の場で「この危機的状況を皆が
一丸となって乗り切る必要がある」というような内容を語って
いました。
素晴らしい言葉ですよね。でもこれは個人を無視した集団行動の
強制なのです。

全員一丸となって危機的状況を乗り切る事は時と場合によっては
必要です。ただ、そこで生じる個人へのデメリットも同時に
フォローする体制が本来は必要なのです。
集団だけが優先する社会ではなく、集団と個人のメリットが
両立する社会が理想と言えるでしょう。

この考え方は企業などにも通用します。
企業やチームが全員一丸となってある目標に突き進んで
いく事は大切です。
しかし、全ての人が同じ行動をとる事は不可能です。
同じ目標に向かっている時でも個人の能力は異なります。
個性や価値観も異なるでしょう。
それぞれの能力や個性、価値観に応じて適切なフォロー
(研修やカウンセリング)を導入する事で初めて全員が
同じ方向に向くのではないでしょうか。

企業理念の押し付けは、先のインフルエンザで学級閉鎖
した時と同じなのです。
強制的な集団行動はリスク管理や全員が同じ方向に
向くためには有効な方法かもしれません。
ただし、そこには個人の違いによるフォロー体制を
しっかりと整えておく事が前提である事を忘れないで
下さい。

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