人材育成

2012年5月21日 (月)

規制は脳を退化させる

毎年のことながら、今年のゴールデンウイーク初日にも
各地で賑わっているイベントや施設の様子、ふるさとや
海外に向かう人々の様子などがメディアに流されていました。

でも、これまでのゴールデンウイークと今年はちょっと
異なるニュースが飛び込んできました。
それは関越自動車道で起きた高速ツアーバスの事故。

死者7名、運転手を含む重軽傷者が39名と何とも
痛ましい事故でした。

格安料金をうたい文句に、高速バス利用者はここ数年
大幅に増加しているようです。
私が勤めるオフィスの近くにも大型バス駐車場があります。
夜9時から10時ぐらいは大型バスとそれに乗り込む人で大混雑。

一昔前だったら、高速バスに乗っているのは若い人が中心。
東京ディズニーランドに向かう夜行バスに乗り込む若い男女を
多く見かけたものですが、最近では夜行バスに乗り込むのは
スーツ姿のサラリーマン(出張で利用?)や熟年夫婦(旅行?)、
はたまたリクルートスーツ姿の学生さんまで老若男女問わず。

路線が以前に比べて増えた影響もあるのでしょうが、今では
幅広い多くの人が気軽に利用する交通手段になったようですね。

ところが今回のような悲惨な事故が発生してしまい、改めて
その安全性が問われています。
今回の原因は居眠り運転の疑いが強いようですが、いずれにせよ、
急成長や競争の激化で安全面での対策がおろそかに
なっていたのも事実でしょう。

そんな中、国土交通省は安全基準を見直そうという動きに
出ているようです。

ちなみに「旅客自動車運送事業運輸規則」第21条には
(過労防止)に関する項目もあり、そこには
「旅客自動車運送事業者は、過労の防止を十分考慮して、
国土交通大臣が告示で定める基準に従つて、事業用自動車の
運転者の勤務時間及び乗務時間を定め、当該運転者にこれらを
遵守させなければならない。」
とあります。

また時間だけでなく、距離に関しても国土交通省では
基準を決めてきたようで、
「高速バスを一人で走らせる際の1日当たりの距離は670km」
としているそうです。

今回の群馬県の事故を受けて、この距離を見直すことも検討し、
安全対策を進めたいと新聞報道でも出ていました。

このように事故が起こるたびに「安全基準」が見直されてきたのは
ご承知の通りです。
原発に関する規制もそうですよね。

ただ、いくら安全基準を作ってもそれを運用するのは人で
あることをまさか忘れてはいませんよね。

本当に規制を強化すれば、安全な運行が可能になるのでしょうか?

例えば、一人で運転するのは670km以内と決めていたのを、
400km以内とすれば事故は無くなるのでしょうか?
ことはそんなに簡単ではないことは容易に想像できますよね。
(もちろん距離を少なくすれば事故数が少なくなる可能性は
あるかもしれませんが…。)

規制は人を一時的に制御することは可能かもしれません。
規制は人を表面的に制御することは可能かもしれません。

しかし、それでは規制に従うのみで、頭で考え行動する人間を
育てる事にはつながりません。

今回の事故ではツアー会社の人がこんなことを言っていました。
「違法な運営をしていたことはないが、適正な運営かと言えば
そうとは言えないかもしれない」

法律に従っていれば大丈夫という感覚があったのは事実でしょう。
しかし、バスを運転するのは人です。
「○○時間運転すれば疲れる」
「○○だけ走れば休憩が必要になる」
何て、人によって異なりますよね。
同じ人でもその時の体調などでも違ってきますよね。

それを一律に「規制の範囲内だから」と何も考えずに
運航していたのでは、また同じような事故が起こるのでは
目に見えているように思います。
もっと言うなら、何も考えなかったら脳が退化してしまいますよ。

今回の事故を受けての対策は規制を強化する事ではなく、
規制内であっても、個別の運転手に応じた適正な運行とは
どのようなものかを示すことではないでしょうか?
どうも国土交通省というお役人の考える事は短絡的でしか
ないような気がします。

企業で人を育てる場合でも同じです。
一律に研修を行っても、それを理解し自分のものにできるかの
進度は個人により異なります。
それを見極め、個別の対応をすることが、結局は全員の能力を
高めることにつながるのではないでしょうか。

つまり、進度に応じた細かい気配りが組織には求められるのです。

高速バスを運転するのは人です。
組織を作るのも人です。

一律の規制では退化した脳の集団になって、次の規制(指示)を
待っている人しか育てることができないのです。
まあ、右を向けと指示を出せば何も考えずに、ずっと右を
向いたままの人間を育てたいのであれば別ですけどね。

規則は人を(一時的に)制御することができたとしても、
決して人が持つ能力を高めることはできないのです。
規則+個別対応が人材育成には必要なんですね。

2012年5月14日 (月)

外国語で‘話す’ではなく‘考える’能力

企業がグローバル人材を求める動きかが加速しています。
入社段階でも当然のようにTOEICの点数を求めてくることが
多くなったようですし、入社後の昇進の指標の一つに
なっている企業もあると聞きました。

やっぱりこれから企業が生き残っていくためには
「外国語が話せてナンボ!」
の世界なのかもしれませんね。

だったら、どのようにしたら語学力を向上させることが
できるのでしょうか?
まあ、一番手っ取り早いのが「語学学校に通う」という
ことでしょうか…。

語学学校各社もしのぎを削ってサービスの向上に努めています。
「学校に通う」ことで日本に居ながらにしてネイティブの先生と
会話できるのは魅力かもしれません。

ただ、いくら学校に通っても学校以外の時間は日本語で
過ごしているのであれば、私自身はあまり意味がないようjに
思います。

だったら、海外に思い切って住んでみるというのはいかがでしょう?

例えば海外留学。
留学をあっせんしてくれる民間企業も多く存在しますし、
日本とは異なる環境で英語学習をすることで効果的に
コミュニケーション能力を高めることが可能になるかも
しれませんね。

最近では大手企業を中心に「海外修行」と称して、海外の現場で
研修をさせるところも出ているようです。
例えばトヨタ自動車は内定者(選抜)に半年間のアメリカ留学を
させたり、NECでは2年目から2年間欧米やアジアに派遣する制度も
あるようです。

また、先進国だけでなく今後の市場をにらんで日立製作所では
30代までの若手を最長3ヶ月新興国中心に、武田薬品工業では
20代後半以降の社員を新興国中心に5年間派遣するようです。

このように国内外で外国語を‘学習’する機会を持つことで、
外国語を話す能力が高くなり、社会が求めるグローバル人材として
育っていく。ひいては日本の国際競争力も増していく…、
確かにそれも事実です。
でも、そんな単純なものでもないことは皆さんもお分かりですよね。

グローバル人材には確かに外国語を話す能力が必要です。
でも、私自身は‘話す’能力ではなく‘考える’能力が
本当は必要ではないかと思うのです。

というのも、海外で日本人以外の人と話すときには
先ず海外の人たちがどのような思考傾向にあるのかを
知る必要があると思うからです。
そしてその思考傾向を元に会話をするのが本来のコミュニケーション
(心の伴ったコミュニケーション)だと私は考えています。

「郷に入れば郷に従え」
ということわざもありますよね。
その土地に行ったのであれば、一旦日本人の思考は捨て、
現地の思考になるための努力が必要です。

日本人の思考で考えそれを単純に英語に置き換える事で
コミュニケーションを図ろうとするならば、極端な言い方かも
しれませんが「英語学習」は必要ありません。
最近は大変高性能な翻訳ソフトが開発されていますよね。
例えばこれを駆使すれば、もしかしたら「会話」は成り立つのかも
しれません。

でも、心も伴ったコミュニケーションを行うために、海外の
人たちの「思考傾向」を理解できる人財を育成するには
どのようにすればよいのでしょうか?

それは一言でいえば「現地に飛び込んで生活する」という
事だと思います。
留学して‘学習’することではないのです。

以前、ある人からこんなことを聞いたことがあります。
海外に赴任してその国の言語を習得する方法の一つに
「その国の人になりきる」というものがあるそうです。

例えば‘フランス’に行くならば‘フランス人’に。
‘イタリア’に行くのであれば‘イタリア人’に。

もちろん国籍を変えるという意味ではなく、日本人と
いう事をいったん捨てて、その国の人になったつもりで
言葉はもちろん衣食住全てをその国に合わせて生活を
するのです。

まあ、「完全にその国の人」になるのは不可能でしょうが、
そのような生活を通じて海外の思考ができるようになると
思われます。

もっと言うなら、その国の人になりきって、その国の人と
お付き合いしてみる。つまり男女の関係になるのが、
最も早い方法という人もいます。
愛は国境を越える!
…。まあこれはちょっと極端でしたね。

実際私がモロッコに行っていた時もそうでした。
(愛じゃないですよ!)

私はフランス語を使って職業訓練校で教える必要が
ありましたので、できるだけ日本語を排除して、常日頃から
フランス語で物事を考えるようにしました。
また、国内の経験から学校に通うとどうしても‘日本語’で
理解しようとするように思ったので、語学能力向上のために、
フランス大使館が主催するイベントの手伝いに参加したり、
町の商店を手伝ったりと、自ら飛び込んで実践的にコミュニ
ケーション能力を向上させる努力をしました。

その結果、フランス語を話すときは、頭の中でもフランス語の
単語が並んでいたように思います。
これが実践的に使える外国語で‘考える’能力なのです。

言葉は文化です。
その文化を知るには語学学習では不十分です。
文化を知るにはその国に入り込んで共に生活する必要が
あります。
文化を理解しているからこそ、その国の言葉で「考える」ことが
可能になるのです。

そんな意味では「国内での語学学校」や「海外留学」では
‘話す’ことは可能になっても‘考える’ことは不可能なんです。

真のグローバル人財に求められる能力の一つ
「外国語で‘考える’能力」
を養うための仕組みづくりの導入。
組織としてぜひともご検討下さいね。

2012年5月 7日 (月)

海外ボランティア経験者の使い方 ~上司としての注意点~

少し前になりますが、「トレンド総研」が1ヶ月以上の
海外ボランティアを経験した男女に、「海外ボランティアに
関する実態調査」を実施した結果が出ていました。

先ずはそれを少しご紹介しましょう。

[調査概要]
調査期間:2012年2月28日~3月1日 調査方法:インターネット
調査対象:1ヶ月以上の海外ボランティア経験を有する20~49歳男女 310名

① 海外ボランティアに参加した理由
 →「視野を広げたかった」61.9%
  「自分が人として成長したかった」61.3%
  「困っている人の役に立ちたかった」45.2%

② 海外ボランティアを経験した事で身に付いたと感じる能力
 →「コミュニケーション能力」75.5%
  「異文化適応能力」74.5%
  「語学力」53.2%
  「忍耐力」42.6%

③ 就職活動や転職活動でどのように役に立ったのか?
 →「外を見ている(視野の広い)人間として見てもらえた」
  「旅行では味わえない体験を語れた。自分の行動力や主体性を
   アピールするための理由としても話すことができた。
   内定をいただいた会社もいくつかある。」
  「サービス業のため、人のために尽くす事ができるという事を
   アピールできた。」

④ その後の仕事に活かされている理由
 →「誰も知らない、言葉もろくに通じない環境の中で一つのことに
   皆が協力し助け合えたことが大きな自信となった。
   トラブルが起こってもこれ位大丈夫と思えるようになった。」
  「異国の地で孤独に耐えながら、なんとか周りと協調して頑張る
   素晴らしさと達成感を味わえたおかげで、何事も投げ出さない力がついた。」
  「指示が的確に出来るようになる。何と言ってもコミュニケーション
   能力が飛躍的に伸びた。」
  「海外では相手に認められないとどんなに良い仕事ができても
   評価されなかった。日本においても、営業先の担当者の記憶に残るような
   行動を心がけるようになった。」

⑤ 海外ボランティアの経験は具体的にどのような成長につながったか?
 →「他人とのコミュニケーションの中で、意見の相違と人格の相違を
   混同しなくなったため、議論から口論になることがなくなった。」
  「自分自身がいろいろな人の助けを得ていると感じることができた。」
  「海外の人々の現状を知ることで自分が社会に貢献できることは
   何なのか日々考えるようになった。」
  「世界の状況を知ることにより、日本という国をとらえなおすことが
   できた。日本の弱点が分かったし、且つ、より好きになった。」

以前より私は、組織がグローバル化に対応し、グローバルな視点で
物事を考える事ができる人財を育成するための方法の一つとして
海外ボランティア経験を挙げています。
今回のアンケート結果でも海外ボランティア自身がその経験を通じて
社会で通用する多くの能力を養ってきたことに気づいている様子が
このアンケート結果からもわかりますよね。

しかし、海外ボランティアというのは実は‘もろ刃の剣’でもあるのです。
一歩使い方を間違ってしまうと、組織では全く通用しない人材に
なってしまう可能性があるのです。
そしてその使い方のカギを握っているのが‘上司’なのです。

例えば海外ボランティア経験者がある組織に入ったとしましょう。
彼らの潜在能力を最大限に引き出し、組織に利益を上げてもらうには
上司はどのような点に注意すべきでしょうか。

その答えは以下の2点です。
1.ホウレンソウの徹底
2.社会との接点の明確化

海外にボランティアとして参加する人は自らの意思で参加し、
基本的には一人で活動します。
組織で働くような上司からの指示命令はありません。
だからこそ、現場の状況をじっくり観察し、そのニーズを
的確につかみ、与えられた制約条件の下、できることは何かを
模索するのです。
そんな活動の中で先のアンケート結果にもあったように
語学力をはじめとするコミュニケーション能力や異文化適応能力、
さらには忍耐力を養うことも可能でしょう。
しかしこれは裏を返せば、自分の範疇での活動になってしまう
可能性があるということなのです。
つまり、一匹狼的な活動になるかもしれないのです。

もちろん、活動を実際に行うには現地の理解は当然のこと、
自分自身でできなければ周りにいる専門知識を持った人の力を
借りることも必要でしょう。
つまり、活動を行うためには周りを巻き込む力は当然必要であり、
活動を通じて養われているはずです。

ただ、その活動の過程や成果をたとえば文書などで具体的に
アウトプットする機会を持たないことも多くの現実です。
つまり、仕事では当然必要となってくる「報告・連絡・相談」の
習慣が養われていない可能性があるのです。

活動上必要となる周囲とのは相談はあったとしても、
社会で求められているような上司との関係における
「ホウレンソウ」は基本的には行っていないでしょう。

だからこそ、ボランティア経験者を活かすためには
上司として先の1点目「ホウレンソウの徹底」が必要なのです。

組織では上司からの指示に基づいて動くのが基本です。
もちろん、その指示のもと自分で考える創意工夫は必要でしょう。
でも、決して一匹狼では組織で働くことはできません。
例えば進捗状況を逐一報告する。場合によっては連絡や相談も
的確に行うことで、上司は安心してその仕事を任せることが
可能になるのではないでしょうか。

海外ボランティアは様々な経験をし、責任感と積極性で
その任務を辛抱強く遂行することは間違いありません。
だからと言って、その力に任せっきりでは、暴走する可能性を
秘めているのです。
上司としてはホウレンソウを徹底させることでその暴走を
未然に防ぐことが可能となるのです。
基本的には力を信じる事で任せるにしても、ホウレンソウによる
見守り姿勢を忘れないでくださいね。

さて、2点目の「社会との接点の明確化」ですが、これは
特に昨年の東日本大震災以降注目されている観点かもしれません。

「収入を上げて豊かな生活を得たい」
というのは一昔前の働く動機です。

最近は
「収入よりも、社会に役立っているという感覚を得たい」
と考える若者が多いようです。

特に海外でボランティアを経験した人たちはその傾向が強く、
自分自身が何かの形で社会に役立ちたいと心の奥底では
思っているようです。

だから、上司としては
「今の仕事がどのような形で社会に役立っているのか」
という質問にもすぐに対応できる姿勢を持つ必要があります。
「そんなこと言わずに、目の前にある仕事をこなせ!」
では決して動きません。
或いは動いてもモチベーションは上がらず、言われただけの
仕事しかしないでしょう(忍耐力はありますからね)。

10言うのではなく、例えば7言ってあとは10以上の仕事を
望むのであれば、回り道であっても社会との接点を
本人にも考えさえる機会を持つべきです。
自ら考えその心に火がつけばあとはしめたもの。

海外ボランティア時代を思い出し、ガンガン仕事に
邁進してくれるでしょう。
あっ、ただしホウレンソウは忘れないように指示してくださいね。

海外ボランティアでは多くのことを学んで帰国してきます。
しかし、それを生かすも殺すも上司次第であることを
肝に銘じていただきたいですね。

2012年4月30日 (月)

ブランドに頼るのではなく本物で勝負を

東京で人気の某レストランがついに関西に進出。
そのコンセプトは地産地消。
地元農家と直接契約し、健康的でおいしい野菜を
ふんだんに使って料理を提供すると話題のお店。

料理には必ず
「○○さんの家で採れた野菜を使った」
というネーミング。

店員もこのあたりが徹底されていて、料理を
提供するときは必ず
「○○さんの野菜を使った△△料理です」
と説明をするようになっています。

最近の健康ブームにマッチしているのか、東京でのお店は
大盛況。
満を持しての関西進出となったようです。

さてさて、その後このお店はと言うと…。

話題性もあったのか、オープン当初は多くのお客さんで
賑わっていたようです。
ところが、東京であんなに流行っていたのにもかかわらず、
関西では半年もしないうちに閉店となってしまったのです。

特に関西で受け入れられなかった原因はどこにあったので
しょうか?

結論から言うと、このお店は
「あの有名な農家からの直送野菜を使った」
というブランドで商売をしていただけという事に原因が
あったように私は思います。

私の勝手な偏見だと思いますが(間違っていたらごめんなさい)、
特に関西の人は‘ブランド’という表面的に見えるものより、
中身重視であるように思います。
いくら表面的につくろってきれいに見せても、中身が
伴わない場合は、すぐに飽きられてしまうという傾向だと
思っています。

ただ、新しいものに興味を持つのは人間の心理。
最初はいいのでしょうが、その本質がわかった瞬間に
再び訪れることはないというのが現実なのではないでしょうか。

私が東京で仕事をしていた時も同様の思いを持ったことが
あります。
東京に居ながらにして、日本中いや世界中のいろんな料理を
食べることができるんですよね。
地方や世界から多くの人が集まる刺激的な町であるからこそ、
その特徴を生かして、または集まる人々を満足させる店として
ご当地料理店が多く存在するのだと思います。

また、「○○風」とうたった非日常を演出した空間も
よく見かけました。

私自身も物珍しさでいろんな店に行っては、まるで
日本中、世界中を旅したような気持になったものです。
「東京にいるだけで、日本はもちろん世界中を味わうことが
できる」
と当初は思っていました。

でも、そんな空間にある時ふと物足りなさを感じたのです。

「これって結局本物じゃなく、バーチャルな世界だよなぁ。
 味は確かに本物なのかもしれないけど、それを食べる
 空間はあくまでも作られた世界。実際の空気を吸って
 食事をしているわけではないんだよなぁ~」
って思ったのです。

企業がブランドを前面に押し出して知名度をあげるのは
よくある話です。
いわゆる「ブランド戦略」ですよね。

以前、これに関するセミナーに出た時に講師の方が
おっしゃっていたのですが、企業をブランディングする時に
以下のような項目を順に担当者に確認するそうです。

① 会社にとっての「らしさ、強み」は何か?
② 他の会社とどこが違うのか?
③ 社員はそれを理解しているか?
④ お客様にそれが伝わっているのか?

単純に
「うちの企業は○○のブランドで行こう」
と決めるだけでは全く意味がないんですよね。

その企業の特徴を捉え、他の企業との違いが明確になり、
しかもそのことが社員も理解し、お客様にもしっかりと
伝わってこそ、ブランドが生きてくるという事なのでしょう。

先の関西に進出し、半年でつぶれてしまったレストランでは
どうでしょうか?

地産地消という特徴を打ち出し(①)、
地元の○○さんの農家で採れた野菜を使った料理を提供し(②)、
料理をお客様に出すときには必ずそれを説明する事を
従業員に徹底する(③および④)
という事で、一見ブランド戦略としては合格点なのかも
しれません。

しかし、私は5番目のポイントを忘れてしまったのではないかと
思うのです。
それは「お客様が何を求めてそのレストランに来ているのか」
という‘お客様目線’というサービス業における基本的な
視点なのです。

つまり
⑤ お客様のニーズに沿ったサービスをする
という事なのです。

ブランドを浸透させるために、恐らくその店ではマニュアルの
ようなものを作成し、従業員には料理提供の際には
必ず「○○さんのところで採れた野菜」を強調する事を
徹底していたのでしょう。
もちろん、従業員はマニュアル通りに動いたわけです。
これ自体は大変良い事だと思います。

しかし、(特に関西の)お客様が求めていたのはブランドよりも
本当にくつろいで料理を食べる時間や空間だったのです。
ブランドはあくまでもそれを味付けする材料に過ぎなかった
ということですよね。

「料理が来るたびに『○○さんのところで採れた野菜の…』と
説明されては、せっかくのお客様の会話を中断する事にも
なりかねません。

ブランド戦略に走るあまり、お客様のニーズやお客様がその瞬間に
求めているものなどが見えなくなってしまった結果かもしれません。

何事も小手先だけのブランドに囚われてはいけません。
最終的にはお客様の欲している本物を提供することが
重要なのです。
それには表面的なブランド戦略を立てても何の意味もありません。

もちろん、均一したサービスを提供するためにはマニュアルは
必要かもしれません。
しかしその前に基本となるお客様目線を忘れないように
してくださいね。それが本物を生み出す原動力になると
思われれるからです。

2012年4月23日 (月)

手書き文章で人財採用・育成

いきなりですが、皆さんは一日にどれぐらいの文章を
書くでしょうか?

もしかしたら、今一番文章を書いているのは、来年春の
就職を控えた、まさに今活動中の学生かもしれませんね。
とくに昨年の12月以降は‘エントリーシート’という名の
各企業から提示された課題に対して、毎日のように必死で文章を
ひねり出し、コンピュータに向かっていたのが現実のようです。

実際私がカウンセリングを行っている大学でも、一日最大7名の
予約が連日満席状態。
ひどい時には1ヶ月半待ちの予約状況なんてこともありました。

しかも、実際にはカウンセリングというよりエントリーシートの
添削指導。
もちろん赤ペン先生じゃないんですから、単純に添削するわけはなく、
一人ひとりにカウンセリングしながらご本人の良さを引き出して、
それを文章にし行くわけですが、
「いや~、今の学生さんって大変だなぁ」
なんて人ごとながら思ったものです。

で、その内容はというと、多くの文章が何を言いたいのか
分からないのです。
おまけに、全体の構想が明確でなく、単純に自分が言いたい内容を
並べているだけのような気がしました。
つまり文章ではなくエッセイのような感じで、思いのままを
単純につづっただけ。
起承転結に代表されるような、文章を流れる全体構想がないために
結局何を言いたいのか見えなくなっているように思うのです。

さてこの原因は一体何でしょう?
その一つが、若者を中心に広がっている活字離れでしょう。
ただ、一方ではビジネス書や自己啓発本は結構売れているそうです。

そんな意味では活字離れは進んでいないのかもしれませんが、
私は‘活字離れ’というより‘文書離れ’が進んでいるのではないかと
思うのです。

ビジネス書のように直接答えを書いてあるものには飛びつくものの、
文学作品のように表面には出てこないものの、行間に書かれている
作者の意図などを汲み取るような作業は好まないのかもしれません。
そんな事からすると、今の若者の傾向として
「活字は読むものの表面のみ。文章に書かれている内容を読み取る
能力は衰えている」
という気がするのです。

このように文章を読む習慣が減っていることに起因して、文章を
書くという能力もなくなってきているのではないかと思うのです。

そしてもう一つの大きな原因がな考えられます。
それは、多くの場合文章をコンピュータで入力している
ということなのです。
コンピュータの場合は簡単にコピー・ペーストができます。
つまり文章を書く際に、全体構想なんか考えることもなく、
とりあえず思いつくまま書き出しておいて、後で簡単に
コピー・ペーストで編集することが可能だということです。

このように書く前に全体構想がなく、書いたあとで全体構想を
つくる結果、何を言いたいかわからず、切り貼りしただけの
脈絡のない文章になってしまうのではないでしょうか。

最近では作家もコンピュータで執筆することが多くなったようです。
すべての作品とは言いませんが、最近は文学作品というより、
単なる言葉を羅列しただけの作品が多くなったように感じます。

さて、先に示した「文書を読む習慣がない」ということに対する
対策としては、昔から語り続けられ、未だに多くの読者を獲得
している文豪と呼ばれる人たちの作品を先ずは読むことからスタート
すべきでしょう。

優れた文学作品は全体の構成もしっかりしており、その展開に
思わず入り込んでしまうことも多くあります。
それが、本当の文章というものです。

また、コンピュータによる文書作りをいったん止めて、手書きで
文章を作成することもお勧めします。
しかも30分から40分程度の限られた時間で、字数制限を設けて。

このように時間や字数が制限された場合、テーマに応じた文書を
手書きで書こうとすると、まずは全体の構成や話の流れ、言いたい
趣旨などを考える必要があるのです。
いきなり書き出して、後でコピー・ペーストなんて芸当は
手書きでは不可能ですからね。

そのために必要な能力は
「文章全体を俯瞰的にみる力(客観性)」

「迅速に構想を決めるための計画力や俊敏さ」
などが求められます。

人財育成研修や採用の場面でもこのことは活かせそうですね。
例えば採用試験の際に時間制限を設けて、あるテーマの文章を
制限字数で手書きで書いてもらうなどはいかがでしょうか?

入社後の研修でしたらこの作業を定期的に行い、それを提出
させる。

費用をかけてどこかの会社開発している筆記試験を実施するより
よっぽど効果的に本人が潜在的にもっている能力を知ったり、
伸ばしたりすることが可能でしょう。

コンピュータで作成する文章は「文章を打った」結果です。
一方手書きの場合は「文章を書いた」結果です。

いきなり書き出すのではなく、しっかりと全体構想を見越した上で、
文章を書いてください。

昔の文学作品に触れることで本物の文章を読みその全体構想を
つかんだ後で、手書きにより文章を書いてみる。
この活動を通じて、ぜひとも人間力を高める工夫をしてくださいね。

2012年4月16日 (月)

戦前の道徳観念を人財育成に活用

突然ですが皆さんは「教育勅語」をご存知でしょうか?
もちろんご年配の方々はご存じだと思いますが、
これは第二次世界大戦前の日本の教育の根幹となった思想のようです。

以下にそこに書かれている12の徳目を述べたいと思います。

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)
2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
(WIKIBOOKS 参照)

ちなみに「勅語」とはYahoo辞書によると
1 天子の言葉。みことのり。
2 明治憲法下で、天皇が大権に基づき、国務大臣の副署を要さないで、
  直接国民に対して発した意思表示。
とのことでした。

つまり、教育勅語とは
「天皇が発した教育に関する基本的な考え方」
とでもなるのでしょうか。
戦前の日本では天皇の言葉は絶対であり、有無を言わさず従うのが
当然の世界でした。

戦後はこのように神聖化された教育勅語は連合国軍最高司令官総司令部
(GHQ)により問題視され、その後排除されることになったようです。
国民に主権を取り戻し、戦後の民主主義を加速させたいGHQにとって、
「天皇の言葉」である教育勅語は邪魔者だったのかもしれませんね。

しかし、形式は良くないにしても、中をよく読んでみると、
決して悪いことは書いてなさそうです。
それよりむしろ、基本的な道徳観念という方向から見ると
人が生きる上で大切な要素を、実に多く含むように思うのです。

先のWIKIBOOKによると三重県伊勢市の私立・皇學館高等学校では
この‘教育勅語’を教材の中に取り入れており、生徒に暗唱を
させているそうです。
その理由は、現代の社会において欠けているものが教育勅語に
あるからだそうです。、

ただ、強制的にこのような考え方を植え付けることには問題も
あるでしょうし、思想信条の自由にも反するのかもしれません。

一方で、人に教育し、人を育成する立場にある人は、この
「12の徳目」の基本概念をしっかりと念頭に置く必要も
あると思います。

例えば
1(孝行)2(友愛)3(夫婦の和)4(朋友の信)

「他人に対する思いやりの気持ちを持ちましょう」
という考え方に置き換えることも可能だと思います。

また、
7(修業習学)8(知能啓発)9(徳器成就)
は自己啓発や向上心にもつながる考え方です。

さらには
10(公益世務)
はボランティア精神やCSRに
11(遵法)
はコンプライアンスの考えにもつながるのです。

また、最後の
12(義勇)
はいざというときは、皆が一致団結して難局を乗り越える
ということ。

まさに東日本大震災以来、日本が置かれている現状を
示しているのかもしれませんね。

このように道徳的な観点から教育勅語を眺めることで
人財育成に対する基本的な姿勢ができるように思います。

もちろん、強制はダメです。
あくまでも自主的に行いことが大切。
例えば教育勅語のそれぞれの徳目の意味について、従業員が
話し合い、それを達成するための部署ごとの目標に置き換える
とどのようになるのかなどについて考えるのもいいかも。
従業員皆で取り組むという姿勢も養われるでしょう。

戦後日本は多くのものを失いました。
戦前の軍国主義に戻らないために多くのものを捨てました。
しかし、道徳的な考えまで捨てる必要はなかったの
かもしれません。
教育勅語=戦前の軍国主義と短絡的に結びつけるのではなく
そこに意味するものをもう一度見直し、良いところは学ぶ
という姿勢が必要だと思います。

同様のことが国旗や国歌についても言えるでしょう。
どこかの自治体で話題になっている国歌斉唱時に起立するか
どうかの問題。
組織としての決まり事だから全員起立を強制するという
やり方は戦前の軍国主義日本と何ら変わりありません。
これでは統率は取れても人は一切育たないでしょう。
国歌や国旗の意味をもう一度見直し、その道徳的観点から
議論しないと何も始まらないと思います。

もし経験のない人がいるなら、ぜひ海外に行ってください。
そしてその国の人に「国旗」や「国歌」について
尋ねてください。
きっと自分の国の旗や歌の由来、その意味について
自信を持って語ってくれると思います。
それを聞いて理解すれば「国旗掲揚、国歌斉唱の際には
起立して帽子を脱ぐ」のが当然と思えるに違いありません。

いやいや、
「思想・信条の自由(思想・良心の自由)は憲法でも
保障されているんだから、自分の行動も個人の自由意思に
任せてよい」
という問題でもありません。

何がよいかという基本的なところは共通認識を持つことが
特に人を育てる上では重要なことと考えるからです。
それが国旗や国歌の示す方向、ひいては組織の示す方向性と
私は考えています。

教育勅語、国旗、国歌を組織に置き換え、人を育てるときには
何が必要なのか。その道徳的な基本思想をしっかりと
身につけることが今人財育成に求められている視点なのです。

2012年4月 9日 (月)

夫婦関係を組織経営のヒントに

「家族」とは何でしょう?
「家族」をどのように作り上げていくのでしょうか?
これは組織作りにも共通する部分があるように思います。

まずは「家族」とは。
「デジタル大辞泉」によると
「夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。
近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態。」
とありました。

家族の構成要因は夫婦とその血縁関係者(親や子ども)。
形態は共同生活が基本のようですね。

同じ屋根の下に家族が寄り添って生活している姿が
目に浮かぶようです。

さて、この構成要因である‘夫婦’と‘血縁関係者’とでは
家族を作る上での考え方が大きく異なるように私は思います。
例えば親子関係(養子を除く)の場合、家族は「できるもの」と
考えています。それに対して夫婦の場合は家族は「作るもの」
だと思うのです。

この考え方の基本は次のようなことです。
同じ屋根の下に住む家族の中で唯一自分の意志で構成要因と
なったのは夫婦だけです。
そして、それ以外(血縁関係者)は好むと好まざるとに関わらず、
自分の意志とは関係なく家族になってしまったのです。

この違いを皆さんはお分かりになるでしょうか。
少々極端かもしれませんが、血縁関係者の場合は、自ら何も
働きかけをしなくても家族になるのです。
だって、生まれた時から家族なんですから。

ところが夫婦の場合はそう簡単には行きません。
人生の途中から自分の意志で「家族」になることを
選択したわけです。
そして選択の後には家族になることを意識しないと
決して血縁関係者のような関係を築くことは不可能なのです。
決して自然には家族は作れないんですよね。

人間が異なるのだから、考え方や価値観は異なるのが当たり前。
もちろん、これが前提になることに間違いはありません。
だからこそ、お互いの価値観を尊重し、その違いを認めて
異なる価値観であっても共同生活できる場の構築が必要に
なるのです。
(異なる価値観での過ごし方については前号のブログを
ご参照ください)。

こんなことを言うとちょっと冷たいように思うかもしれませんが、
決して同じ価値観を求めようとしようとしてはいけません。
お互いの価値観に侵入しようとしてもいけません。
だって違う人間なんだから。

異なる価値観が同じ屋根の下にいるからこそ、お互いを
認め合い尊重できる関係ができるのです。
これが家族なのではないでしょうか?

そして、夫婦関係の場合はその状況を意識して作り上げる
必要があるのです。
それができて初めて‘家族’が作られるのです。

さて、同様のことが組織作りにも言えます。
特に日本の企業では
「会社は家族と同様、一心同体の経営感覚が大切」
なんて考え方が多く残っています。
これ自体は私は素晴らしいを思います。

家族的な雰囲気があるからこそ、皆が一致団結して
難局を乗り越えることができるでしょうし、何と
言っても日々のコミュニケーションも活発になり、
皆が活き活きと本音をぶつけ合いながら仕事に打ち込む
事も可能になるかもしれません。
家族に勝るチーム力はないでしょうからね。

しかし、この家族の構成要員である従業員の関係は
‘血縁関係’のようなものではなく‘夫婦’のような
ものと考えるべきなのです。

つまり、もともと他人である従業員が人生の半ばで自分の意志で
一つの組織に属することになるのです。
そこには多くの価値観が存在するでしょう。
その価値観を従業員それぞれが認め、尊重しあう関係作りが
組織を作る上で大切なのです。
そのためにはお互いを知る努力、認め合うことを常日頃から
意識する必要があるのです。

家族的経営は日本独特の考え方なのかもしれません。
その良さは異なる集団でもお互いを認め合える関係であること
なのではないでしょうか?
このような関係を維持するためには、従業員が血縁関係でない
夫婦としての家族の関係のような意識付けが必要なのです。

具体的には夫婦関係を作り上げると同様、あるいはそれ以上の
意識的なコミュニケーションがお互いを認める基本と
なる事でしょう。

意識してお互いの‘違い’を認める努力怠らないでくださいね。

2012年4月 2日 (月)

働く意義の持たせ方

皆さんは働くことにどのような意義を感じていますか?
リーマンショック以降、働くことに意義を見出そうと
する人が特に若い人を中心に広がっているようです。

平均勤続年数が短い欧米諸国では、勤務している会社に
とらわれず‘仕事’を中心にキャリアをデザインして
行く人が多いように思います。
それに対して日本ではまだまだ‘仕事’ではなく‘会社’を
中心にキャリアデザインを考えるのが主流。
会社の成長に合わせて自分自身をどのように成長させて
行くのかを考えるのが未だに一般的な考え方でしょう。

ところが特にリーマンショック以降はこのような会社
依存型のキャリア形成の限界を感じた人が、今度は
会社の外にやりがいを見つける動きが活発になりました。

例えばアフターファイブや週末の休みの時間を使って
会社とは全く関係のないNPO活動を行ってみたり、
本格的なスポーツ関係のチームに所属したりなど、
多種多様な活動を会社以外で行っている若者が増えて
いるようです。
昨年の東日本大震災以降は、このような活動の中でも
ボランティア活動を含めて社会貢献型の活動が
増えているのが現状です。

平日は仕事に専念、週末の休みは家でゴロゴロ過ごす
というような一昔前の典型的なサラリーマン(?)
ではなく、休みの日もアクティブに活動するのが今の
若者の主流。

「仕事とは別の顔を持つことがカッコいい」
なんてことになっているのかもしれませんね。

このように仕事とは離れた活動を行うことは、その
メリットとして「人脈が広がる」というものがあるのかも
しれません。
また、仕事以外の人と話をすることで、異なる価値観や
視点を知るきっかけにもなると思います。
当然そのようなメリットは仕事そのものへの効果も高まると
考えれられます。

これまで仕事の範囲でしか物事を考えなかった自分に気づき
改めて仕事への意欲や働くことの意義も感じることが
できるのではないでしょうか?

実は私は以前からこのような本来業務以外の活動を
奨励してきました。
それも「副業のススメ」という観点から。
もちろん本業に支障になるような副業活動になると
就業規則違反ということにもなりかねませんが、
あくまでも支障のない範囲でまったく異なる顔(副業)を
持つことは大変有意義だと思っています。

例えば本業が万が一ダメになったとしても、副業を
持っていれば安心というリスク管理の面からも
メリットはあるかもしれません。

しかし、それよりも大きなメリットが本業への効果
なのです。

先の仕事以外の活動の場合と同様、人脈や価値観、
視点など多くの効果を本人に与えてくれます。
このことが本業を行う意義を見出すことにも
つながると考えられます。

さて、ではこれら「働く意義を求める」ための活動を
‘仕事の中’で行うことはできないのでしょうか?

実はその答えは「できます」なのです。

そしてその「できます」が今注目されている
‘社会起業活動’なのです。

東日本大震災の時も多くの企業が東北地方の支援に
向かいました。
企業が率先して震災ボランティアに人を派遣し
社会貢献活動を行う姿が各地で見られました。

でもこれはあくまでもCSR活動の一環で、本業とは離れて
活動する場合がほとんどです。
本当のCSR活動は本業の延長線上にあるべきだと私は考えて
います。

有名な事例ではユニクロを展開するファーストリテイリングが
バングラデシュで安価な肌着を生産し、地元での雇用や需要の
創出に取り組んでいるのはご存じでしょう。
別の例では住友化学が防虫効果を高めた蚊帳を開発し、
アフリカのマラリア予防に役立てているようです。

このように企業がその得意分野を生かして社会問題を
解決するという動きも注目されるようになりました。
自治体やNPOが主催する「社会起業塾」のような取り組みも
行われるようになり、若者を中心に多くの人が「社会起業の
ノウハウ」を学んでいるのです。

‘利益追求’ばかりが企業活動ではない。もっと社会的に
意義のある活動を行うことが企業にとって必要であることを、
昨年の東日本大震は教えてくれたのかもしれませんね。

そして、それに呼応して
「社会に役立つ仕事をしたい」
と思う若者が増えたのかも。

ただ、私自身は
「これって当然のことじゃないの?」
って思ってしまいます。
日本は昔から三方よしの考え方がありますよね。
(以前このブログでも紹介しました)。

「‘企業’だけでなく、‘お客様’だけでなく、‘世間’に
とっても良い活動」
これが本来の企業活動なのです。

それがあるからこそ、そこに働く人も
「仕事を通じて社会に役立っている」
という感覚が生まれるのではないでしょうか?

最近若者を中心に仕事以外の活動に働く意義を見出したり
社会起業という名目で、働くことそのものに意義を感じたり
することそのものは、キャリア形成の上でも良いことだと
思います。
また、それが企業そのものにメリットをもたらして
くれることは間違いないでしょう。

しかし裏を返せば、このような活動に若者が注目するのは
今存在する企業の多くは、自分たちの生産活動が社会的に
意義のある活動であることを示し切れていない証拠でも
あると言えるのではないでしょうか?

そして、その企業にとって欠くことのできない人財が育って
いない証拠なのではないでしょうか?

なぜ企業にとって人財が必要なのでしょうか?
多くの人財が存在すれば、企業に多大のメリットをもたらして
くれるからなのでしょうか?

確かにこれは必要でしょう。しかし、これが人財育成の
目的ではないのです。
人財育成の根本に流れている考え方は、人財本人が
働く意義を感じ自らが主体的に、安心してキャリアを
形成できる仕組作りなのです。

そのためには組織として企業が主体的に社会と結びつき、
社会に役立つことを積極的に推進し、その活動の意義を
従業員に積極的に理解させる仕組みづくりが必要なのです。

若者は仕事以外の活動では、活動そのものに意義を求めようと
しています。だったら、その気持ちを組み、大いに利用するのです。

例えば仕事以外の活動が積極的にできるよう、活動に対して
助成金を出すとか、活動のための場所やノウハウを
提供するなど、あるいは仕事を通じて社会貢献できるような活動を
社内で募集するなどいくらでも方法は考えられます。

要は企業がこれらの若者の芽を摘まないように積極的に働き掛ける
方策を打つことが大切なのです。
働く意義をもった若者を育成し、人財としてぜひ活用してくださいね。

2012年3月26日 (月)

異なる価値観・異なる夢で組織を作りましょう

「異なる価値観に影響を受けた経験は?」
これは、ある企業が出したエントリーシートの課題です。

世界には価値観の異なる人々がたくさん存在します。
もちろん企業も同様。
ましてやこれからはグローバル化の時代。
これまでのように日本人同士の価値観とは大きく異なる
価値観が企業の中にいやおうなしに入ってきます。
それらをうまくまとめることが企業に課せられた緊急の
課題であるといっても過言ではないでしょう。

一昔前流行した歌で永井真理子という歌手の
「ZUTTO」というタイトルのものがありました。
1990年ですからもう20年以上前のことです。

その歌詞の一部に
「2人は違う人間だから
 一緒にいられるの
 そばにいてもね別々の夢見られるよ」
というものがあります。

20年以上前の歌にも関わらず、今まさしく問われている
グローバル社会の理想的な姿がここに表現されているように
私は思います。
これが異なる価値観の社会での理想的な共存の姿なのです。

人にはそれぞれ異なる価値観を持っています。
同じ人間なんて一人も存在しないのです。
それを前提に、でもお互いの価値観を否定するのではなく
認め合うことがまずは大切なのです。

さらに、みな同じ方向を見るのではなくそれぞれの方向性までも
尊重するのです。
これは一見組織運営とは正反対のように見えるかもしれませんね。

組織は同じ方向に向いていないといけない。
それが統一性と思っている経営者もいらっしゃるでしょう。

しかし、そもそも異なる価値観の集合体である組織が
ただ一つの方向に向かっていくことは可能なのでしょうか?
つまり、それぞれの従業員が異なる価値観を持つにも関わらす、
一つの方向にのみ向かわせることができるのでしょうか?

これじゃまるで、親の死去にともない政権が子供(三男)に
最近継承されたどこかの国のようですよね。

日本の組織もどちらかというと価値観を統一することに
重きを置くところが多いように感じます。
逆に欧米の組織は異なる価値観を尊重することから始まることが
多いように感じるのです。

私自身は組織が進む方向性(ビジョン)は経営者がしっかりと
従業員に対して示す必要があると思います。
しかし、それを示す前に従業員それぞれが持つ方向性(夢)も
ちゃんと考慮する必要があると思うのです。

「自分の描く夢の延長線上に組織の夢がある」
これが従業員視点に立った経営であり、人財が組織に根付く
基本姿勢だと思うのです。

決して無理やり価値観をまとめようとしてはいけません。
バラバラの価値観を有効活用し、組織がいかにそれらの価値観を
活かしていこうかと考え、実行することが組織運営の基本だと
私は思います。

従業員の価値観が尊重されてこそ、皆が生き生きと働くことが
できるんですよね。

経営者がリーダーシップという言葉を勘違いして独善的に
方向性を決め、それを強引に実行しようとすると確実に
従業員の価値観は否定されてしまいます。
こんな状態ではきっと従業員のモチベーションも下がるでしょうね。

そんな組織では決して人財は根付きません。
きっと人財は流出するでしょう。
きっと人在だけの組織になって、組織は独裁的な経営になり
従業員の不満はどんどん闇に蓄積されることになり、
創造的な発想が従業員から生まれることなく組織は弱体化
していくのです。

まさか皆さんの組織ではそんなことはありませんよね。
冒頭で紹介した
「異なる価値観に影響を受けた経験は?」
の質問は、人財育成という観点から、ぜひ従業員に投げかけて
ください。
すぐに答えが返ってきて、全体で議論が始まる組織だったら
大丈夫でしょう。
異なる価値観を認めているからこそ異なる価値観に気づくことが
できるからです。

でも、答えがなかなか返ってこないということは異なる価値観に
気づいていない証拠なのです。
人在ではなく人財が組織にどれぐらいいるかを図る指標にも
なりそうですね。

2012年3月19日 (月)

大学と社会での人財育成役割分担

最近の大学は就職実績をうたい文句として入学生を集めて
いるところもあるようです。
新卒学生の内定率を何とかあげようと、政府としても支援体制を
整え、例えばハローワークの職員を大学へ派遣し、細かいマッチ
ングまでお手伝いする状況です。

そんな中、以前ニュースで「就職に強い大学」として地方の
某私立大学が紹介されていました。

都会にある有名大学が就職実績を上げることができるのは
ある意味当然なのかもしれません。
しかしこの大学は地方の名前も知られていない私立大学。
しかも、集まる学生の入学時の偏差値が50以下との事です。
しかし、内定率は何と99%と高い割合であると、驚きとともに
ニュースでは紹介されていました。
(私自身は大学までの偏差値と就職の内定率の高低を
結び付けるのはあまりにも短絡的であると思うのですが…)。

この地方大学で活躍しているのが数年前に赴任した就職課長。
元リクルートの社員だったようで、そのノウハウ(?)を
駆使して、次々と内定学生を‘量産’している姿がニュースでは
取り上げられていました。

この課長曰く、例えば学生のお父さんが銀行マンであるならば、
やっぱり学生も幼いころから金融関係には興味を持っているはず。
従って銀行や会計事務所への就職を勧める事で内定を獲得する
確率も上がるとのことでした。

確かにこのように戦略を持って企業などを紹介することで
学生もスムーズに就職ができるのかもしれませんね。

出口(就職)を整備することで入口(入学)も充実する。
最近の多くの大学で取り入れている入学生獲得戦略の
一つのように思います。

私自身以前専門学校に勤めていたので、このことは
非常によく理解できます。
当時はまだまだ専門学校の知名度も低く、本当は大学に
行きたかったのだが、学力が足りず、かと言って高校卒業で
すぐに就職するのも嫌なので、とりあえず専門学校を
選択したという学生が入学生の大半でした。
「あえて専門学校を選んで、専門性を短期間で
身に着けたい」
何という学生は皆無だったといっても過言ではないと思います。

おまけに18人口の減少で、小さな専門学校はどんどん
つぶれていくような時代でした。

そんな中、専門学校が大学に対抗し、生き残っていくためには
出口である就職実績を上げることが緊急の課題でした。
私は教務を担当していたのですが、学生に徹底した
就職のノウハウを教えるのは当然のこと、時には
就職課(今でいうキャリアセンター)の職員とともに
求人開拓にも出かけていきました。
また、いただいた求人をどんどん学生に紹介し、応募を
促したものです。

しかしある時ふとこれまで行ってきた就職指導を
疑問に感じるようになったのです。
つまり、学生の意思よりも、求人に対してマッチングする事を
優先する自分に気づくようになりました。
私自身がもっと学生の希望などを聞いて、より希望に見合った
求人を開拓し、マッチングすればよかったのですが、
当時はそんな暇はありません。
とにかく一人でも多くの内定者を出し、内定率を
挙げることが必須条件。
私たち専門学校の職員に課せられた使命だったのです。
私自身も組織のために動いていたのでしょうね。

おかげでこの専門学校は毎年ほぼ100%の内定率を
挙げることができ、就職に強い専門学校というブランドも
できていたと思います。

さて、でもこれが本当の出口整備なのでしょうか?
学生にとって本当に良い事だったのでしょうか?
その答えは未だに出ていません。

そもそも19歳や20歳ぐらいの社会を知らない若者に、
社会経験も豊富な職員が
「この企業いいよ」
って勧めたら、学生はその気になるは当然のことと
思います。

もちろん、その後がんばって働いている学生も多くいます。
今では上司となって部下の育成に携わっている学生もいます。
一方では会社を辞めてしまって全く異なる業界に転職した学生も
います。

何が良いかはその人しかわからないですし、個人により価値観も
ことなるでしょう。
とりあえず勧められた会社で働き出して、そのおかげで
自分の天職が見つかる場合もあるでしょう。

ただ、できるだけ本人の希望を聞きながらマッチングする姿勢は
大切にすべきなのではないでしょうか。
先の地方大学の取り組みのように家族の人の職業が基準と
なるのではなく、あくまでも本人の希望が基準となるのだと
私は考えます。

もっと言うならば、出口戦略=就職内定率なのでしょうか?
数字には現れにくいのですが、自分のキャリアをしっかりと
作ることができる自立的な人間の形成が本来の出口戦略では
ないでしょうか?

今、企業に就職した後でも自らキャリアを形成していく
姿勢が求められています。
その根本的な考えを養うのが、社会に出る直前の教育機関
(大学)が行うべき出口戦略だと思います。
つまり、大学などで人財の基礎を作るんですよね。

その基礎を実践を通じて育成し、本当の意味での人財に
育てるのが社会に課せられた課題だと思います。
これが大学と社会の人財育成の役割分担なのです。

就職をメインにすると大学卒業で育成は止まってしまいます。
キャリアをメインに据えながら、一生かけて育成できる
仕組みをしっかりと作る事がいま求められています。

そんな意味では大学などの最終教育機関と民間企業などの
社会組織が個人のキャリア形成のためにどのような役割分担を
行うのかを今一度整理することが緊急の課題なのかも
しれませんね。

「入学時期を秋にする」とか
「就職活動時期をいつから始める」とか
「ハローワークの職員を大学に派遣してマッチングを進める」とか

そんな狭い視点ではグローバルに活躍する人財を育成することは
決して不可能です。
もしかしたらまだまだ日本は人財育成途上国なのかもしれませんね。

より以前の記事一覧